2008年08月21日

エクスリブリス

 図書館で借りた本の表紙裏とカバーの間に何かはさまっている。
 図書館の本は、たいていカバーの上から透明な粘着フィルムが貼られているが、その本の見返し部分に折り返されたカバーの一部にはフィルムが掛かっていなくて、表紙裏とカバーの間がポケット状になっていた。そのポケットに小さな紙片がはさまっている……というより、表紙裏に貼り付けてあった。
 指先でつつくとぱり、と乾いた音がしてその紙片ははがれた。大きさは名刺くらい、けれど名刺よりはずっと薄い紙に、繊細な線画(銅版画か?)で女性の裸像が描かれている。女性は大きな本をかかえていてその表紙には「Ex Liblis」の文字がある。これは蔵書票だ。

 蔵書票とは、本の所有者が自分の蔵書であることを示すために本に貼り付ける紙片のことだ。「Ex Liblis」とは「蔵書からの一冊」という意味のラテン語で、西洋の蔵書票の決まり文句らしい。

 蔵書票が貼ってあったということは、件の本は誰かの蔵書であったものが図書館に寄贈されたのだろうか? それにしては誰の蔵書かわからない。蔵書票には「Ex Liblis」の他に票主(本の持ち主)の名前が記されるのが通例なのに、この蔵書票にはそれがない。「Ex Liblis」の文字の他は絵だけだ。
 それとも、蔵書票はブックデザインの一部としてもともと本に付いていたものだろうか? いちいち表紙裏に紙片を貼り付けるような手間のかかる装丁をするような本とは思えなかったが。
 後ろめたい気がしたが、私はその蔵書票をコピーして同じ大きさに切り、表紙裏とカバーのすき間にはさんで本を返却した。理由はわからないが、蔵書票の女性の絵は他にもバリエーションがあるような気がしている。
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2008年07月31日

こんな感じでイイと思います

『崖の上のポニョ』を観ました。面白かったです。一部には「宮崎駿アニメに求めるものはこんなものじゃない」的な意見もあるようですが、ワタシが宮崎駿のアニメに求めるものは、だいたいこんな感じです。
 こんな感じ、ていうのはどんな感じだ? というハナシになりますが、まあ概ね動きです。イイ感じに動いていたらそれで満足、みたいなところがあります。この映画では特に、ポニョが魚の形をした波の上をとたたたっ、と走って宗介の乗っている車を追いかけるところがイイ感じですな。波も動いているのだからわざわざ走らなくてもよさそうなものなのにあえて走っている。そりゃもう、ものすごいイキオイで。なんかおかしくて楽しくなってしまいます。
 ガラス瓶につまってしまったポニョを取り返そうと波(目がついただけでこんなに気味悪いとは)がぞわぞわと押し寄せてくるあたりもイイ感じ。さらわれるんじゃないか、というのももちろんですが、生理的に濡れたくないという気持ちからか見ていて微妙に緊張するのですが、宗介くんはわりと平気な感じで、ひょいひょいと高いところへ移動します。海辺で遊び慣れてるんでしょうな。
 そんなイイ感じの動き(あえて文字にすると、とたたたっとか、ぞわぞわとか、ひょいひょいとか)があれば満足です。だから、宮崎駿のアニメでどうしようもなくつまらないと感じたものはありません。もちろん『ポニョ』もイイ感じです。
 まあ、ストーリーはあっさりしてます。けれど、ワタシは前作『ハウルの動く城』ではキャラクターの動機がわからなくなる場面が多々ありましたので、それに比べるとずっといいと感じました。
 あと、CGを使わず手書きにこだわった、とのことですが絵を描かない人にはそんなことどうでもいいのでは? ワタシは少々描きますのでスゴイと思いますが…
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2008年07月25日

猛々しい禽

 テレビニュースでオオタカの子育てが採り上げられていました。ニュース専門チャンネルをつけっぱなしにしていてあまり画面は見ずに音声だけ聴いている状態なのですが、少々違和感を感じるナレーションがありました。
「好物はキジバトやムクドリです」
 もちろんオオタカの好物のことです。確かに猛禽で、トビなどより生き餌を好み、狩りによって餌を捕る印象の強い(実際そうなのでしょう)鳥ですが、この言いようはあまりに唐突に感じました。語られている内容はまったく問題ないと思うのですが、なんだか引っかかる、そんな感じなのです。
 じゃあどう言えばいいのかと考えたのですが、「肉食であるオオタカの好物は…」と前置きすればわりとすんなり受け入れられるのでした(あくまでワタシの感覚)。
 ナレーションに違和感を感じた原因として、好物=食べ物であるのにキジバトやムクドリが食べ物として認識しにくい点があると思ったのです。「肉食」と聞いた時点で「捕食者」「弱肉強食」「食物連鎖」とイメージしやすくなります。すると、キジバトやムクドリが食べ物、てのもアリです。
 と、ここまで書いて前述のナレーションの前にオオタカが肉食であることを示す説明や映像がなかったのか不安になってきました…でも、まあいいか。

 それはそれとして、「好物はオニギリやハンバーガーです」だったらどうでしょう? もはやオオタカではありませんな。トビかカラスです。とたんに卑近になります。卑近て! 失敬だなワタシも! だいたい「トビ(トンビ)がタカを産む」て、タカのほうが上ですか? 彼らが文句言わないからって言いたい放題ですな、ヒトってヤツは。
 ちなみに、オニギリやハンバーガーはワタシも好物ですけど…
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2008年07月11日

絵に描いた糸杉

 友人らと「絵しりとり」をやることがあった。「絵しりとり」とは、しりとりに出てくる言葉をいちいち絵に描く遊び。私たちのやりかたは、A4ぐらいのノートのページをを3×3の9マスに区切って、1マスずつ順番に絵(とそれを指す言葉)で埋めていくのである。一つのマスにりんごの絵と「りんご」という言葉が入れば、次のマスにゴリラの絵と「ゴリラ」という言葉、という具合だ。
 もちろん語尾が「ん」で終わりだが、絵に描けるもの、自分が描けるものを選ぶのが難しい。抽象的な概念、たとえば「愛」などは皆の納得する絵になりにくい。皆が納得しなければ描き直しだ。逆説的だがむしろ「抽象的」のほうが絵にしやすいかもしれない。
 友人らは総じてそこそこ絵心があるので、たいてい何を描こうとしているかわかる絵にはなる。それに他人が描く絵を見るのはだいたいにおいて楽しいものだ。

 某君の「カラシニコフ」(ロシアの軍用銃)の次が私の番で「富士額」(小面の上半分)を描いた。その次のNさんが描いた「糸杉」が問題になった。彼女が描いた「糸杉」はほぼ滑らかな紡錘形の樹形だったが、それは糸杉らしくないとの声があがったのだ。「どう見ても糸杉でしょ」Nさんは主張する。私にもそれは糸杉と認められたが、他の友人たちはもっとうねうねと波打った樹形だと言う。カラシニコフの彼が描いてみせた「糸杉」は「ゴッホの糸杉」だった。他の皆はそれに賛同する。「ゴッホの糸杉はデフォルメが効き過ぎなの!」Nさんはゆずらない。
 結局、ネットで糸杉の写真を検索。何点かの写真を見るうちに、私はなんだかゴッホの糸杉っぽいのが多いような気がしてきた。Nさんにそう言うと、彼女もそんな気がしたともらした。ところが。同じ写真を見た「ゴッホの糸杉」派の皆はNさんの糸杉のほうが写真に近いかも、と言いはじめたのだった。
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2008年06月26日

外から見たことがない

 団地に住んでいる。建物は非常に古いが、さほど傷んでいるふうでもない。それにとても大きい。外観はよくわからないが、中はとにかく広い。外に出なくても生活できるように学校や病院、商店から工場、農園までが建物の中にそろっている。
 工場や農園は居住区とは違う階床か、同じ階でも離れた位置にある。移動に使われるのはエレベーターだが、垂直方向だけでなく水平方向へも動く。ワイヤーで吊るのではなく、アプト式という歯車で動く型だ。
 窓から見ると、どうやら自分の部屋は地上から5,6階の位置にあるのがわかる。左右は数部屋が同じ壁面にあるのだが、そこから先は建物が90度曲がっているのか、あるいは出っ張っているのか、先が見渡せない。地上には細い道路があり、その先にはたぶんこちらの建物と同様な団地が空以外の視界を覆うほどの近くにある。もしかしたら目の前の団地もこちらとひと続きの建物なのかもしれない。
 住んでいる部屋と同じ階床でさえ、広さがいったいどのくらいあるのかよくわからない。そんな階床が何階まであるのかも。居住区には吹き抜けになっている部分があって、空が見える。吹き抜けの下は公園になっている。中庭状になっている公園から見上げると上に少なくとも10階はあることがわかる。
 中庭といってもこの階が地上というわけではないので、露天から降り込んだ雨は公園の床に無数にある排水口から浄水施設へ流れるようになっている。降水が浄水施設の許容量を超すと外壁から外へ放水されるというが、その排水口を見たという話は聞かない。

 夜、露天の公園を歩いていたら、向こうから犬が一頭歩いてきた。白っぽい中型で耳がぴんと立っている。犬はまっすぐに私に向かって来て、口を利いた。
「これは夢だよ」
 とたんに目が覚めた。
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2008年06月21日

そりゃないぜセニョール、とケーシー高峰は言った

 口にこそ出さなかったがワタシは思いました、“そりゃないぜセニョール”。映画『ミスト』を観てのことです。原作であるスティーヴン・キングの小説「霧」はずっと以前に読んで気に入っていたので、映画化されると知って期待していました。が、ラストが違う! いや、怒ってるんじゃありませんよ、むしろアリかと。“…セニョール”ってあたりにそのへんのニュアンスを感じていただけたら幸いです。でも、理不尽で後味の悪い結末です、万人にはオススメできません。
 どうやら、監督のフランク・ダラボンが思いついたこの結末を聞かされたキングは、むしろその結末にしたかった、みたいなことを言ったとか。ああ、やはりアリなんですよ。ちなみにワタシは同じくキング原作、ダラボン監督の『ショーシャンクの空に』も『グリーンマイル』も観ていません。なんか泣けるそうですけど。今のところすすんで観ようという気もありません。
 で『ミスト』ですが、ショッピングセンターに買い物に来ていた客たちが、あたりを覆った濃い霧の中にいる出自は不明で非常に危険な生き物たちによって生命をおびやかされ店内に閉じこめられる…というモンスターホラーです、ざっくり言うと。でも怖いのは、狂信的なユダヤ教徒(?)のおばさんとその煽動でおかしくなっていく連中です。一見さえないけど実は射撃の名手の店員が、狂信おばさんを射殺してくれて正直、溜飲が下がります。
 まあそんなことはいいとして(いいのかよ?!)、ワタシには原作中に映像化が楽しみな場面がありました。脱出した主人公たちが車で巨大なモンスターと行き合うところです。ワケのわからない造形、加減を知らない巨大さ…これがワタシのイメージにかなり近くて大変満足です。
 それにしても人体に対しての物理的な破壊あり、毒(?)による病変ありでかなりエグいので、やはり万人にはオススメできません。
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2008年06月11日

歌う女

 駅前のバスターミナルでバスを待っていたら、歌声が聞こえてきた。拡声器などの器械を通した声ではなく肉声だ。特徴のあるその声には聞き覚えがある。声のするほうに目をやると案の定Yさんがいた。

 Yさんは、30代くらいと思われるが正確な年齢は不詳、の女性だ。よく歌を歌っている。大きな声ではないが、澄んでよく通る声だ。音程もリズムもしっかりしているので、歌自体は安心して聞いていられる。でも私はこの人が苦手だ。ところかまわず歌うので、一緒にいると周りの目が(耳が?)気になってなんだか気恥ずかしいからだ。Yさん本人はそんなことを少しも気にしてはいないようだが。

 歌いながら彼女は清涼飲料の自動販売機の前でボタンを選んでいるようだった。指先は歌に合わせて微妙にリズムを刻んでいる。前述の理由から私は、声をかけるべきかどうか逡巡していた。さすがの彼女でも話をしながら歌うことはできないので、なにか気の利いた話題で会話すればいいのだが。問題は私が口ベタだということだ。
 そうこうするうちに彼女は飲み物を買ってふり返ったので、私と目が合ってしまった。私はきまり悪かったけれど、ちょっと頭を下げて合図した。彼女はにっこりして自販機に向き直ってもう1本飲み物を買うとこちらへ向かってきた。もちろん、歌いながら。
 栄養飲料の小さな茶色のビンを私に差し出しながら「声をかけてよ」と言われた。「私の声が聞こえてたでしょう?」そう、それが問題なんですけれど。すると彼女は意外なことを言った。「周りの人には聞こえてないから、気にしなくていいのに…
「あなたに合わせた波長で歌っていたから」
 ええと、それは、犬笛みたいな理屈ですか? 少なくとも彼女は口ベタではないようだ。私はバスを何便か見送った。
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2008年06月01日

星見の宿

 山の中腹に住宅地から移築されたという建物がある。民芸趣味の古民家でもなく、懐古趣味の洋館でもない。一見、ひと昔前の住宅のように見える、ただその大きさを除いては。遠目には住宅地にあるふつうの家のようだが、近づいてみるとその大きさにちょっとした違和感を覚える。
 部屋数が10以上もあるその建物は、もともと同じタイプの建て売り住宅を移築の際に3軒ほど繋げて建ててあるらしい。そのうえどこをどうしたものか、建物の一部の屋根が大きくスライドして空が見えるようになっている。その建物は「星見の宿」というふれこみで宿泊施設として使われている。

 学生時代の友人とそこに泊まりに行った。客は私たちだけのようだった。午後のあまり遅くない時間に宿に入ったため部屋で休んでいた私は、いつの間にか眠り込んでしまっていた。ゴロゴロという雷のような音で目が覚めたのだが、寝ぼけた頭がだんだんはっきりしてくると雷のようだと思っていた音は存外軽薄な音だとわかった。しかも音源は天井のあたりだ。
 ダイニングサロンの広間に行くと天井があったところに暮れかかった空が見える。先ほどの音はこの天井が開く音だったらしい。そこにいたメイドに寝ていたことをアピールするつもりで「おはようございます」と声をかけると「寝相がお悪いから屋根がずれてしまいました」と返された。気の利いたことを言ったつもりらしかったので、とりあえず力なく笑っておいた。
 すぐに夕食だったが、あまり食欲がない旨を伝えるとサンドイッチを出してくれた。友人は夕食を平らげたうえにサンドイッチにも手を伸ばしてきた。
 ここのメイドのメイド服はひらひらしたところがない。「ご主人様」とも言わないし、そう若くもない。けれどサンドイッチがおいしかったので概ね満足だ。空は曇っていた。
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2008年05月23日

校舎

 自転車に乗ってNさんの家へ行く。Nさんの家は郊外からさらにはずれた、ほとんど山のふもとにある。いつもならバスで行くところだが、つい自転車に乗りたくなって。
 町をはずれてしばらくしたあたりでもう後悔しはじめていた。舗装路だが、ゆるやかな登りが続く。体力のなさを痛感する。
 まわりに水のはられた田んぼが多くなってきたころ、左手に木造の小さな校舎のような建物が見えてきた。二階建てで教室はたぶん4つか5つくらいだろう…いや、そもそも校舎かどうかもわからない。切り妻の屋根がついていて、かつては朱色だったらしいスレート瓦はつやもなくくすんだ褐色に見える。外壁は黒っぽい茶色に塗られた下見板張り、ところどころに色の違う板で補修されたあとがある。窓枠はさすがにアルミサッシが入っているが、新しくはなさそうだった。田舎の分校、といった風情のなかなか味のある建物だ。
 同じ道を通るたびにその“校舎”は目にしていたので気にはなっていた。自転車を停めて一休みしながら田んぼの向こうにある“校舎”をあらためて眺めるとやはり田舎の分校にしか見えない。

 Nさんにその“校舎”のことを話すと「そういえばそんな建物があったわね…でももう取り壊されてるんじゃなかったかな?」とそっけない。来るときに見てきました、というと「あらそう」とさらにそっけなかった。
 帰りにはうす暗くなっていたが“校舎”の近くを通りかかると、窓に明かりが灯っている。全部の窓に、である。赤みがかった明かりだった。
 数日してNさんから電話で“校舎”は、やはり小学校の校舎だったと聞かされた。けれどもうずっと前に取り壊されて更地になっているという。そんなはずは、と反論すると、「別の建物と見間違えたんでしょ」とのこと。そうはいっても、まわりは田んぼばかりで見間違えるような建物はないのだけれど。
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2008年04月28日

基本、目を合わせない

“猫漫画”というジャンルがあります。ネコが出てくるマンガです、大ざっぱに言って。ワタシはどちらかというとイヌ派なので、猫漫画はあまり読みません。かといって犬漫画を好んで読むかというと、そうでもありません。けれども北道正幸の『プ〜ねこ』(現在第3巻まで、講談社刊)は、猫漫画(?)としてはかなり好きで第1巻から読んでいます。

『プ〜ねこ』に出てくるネコの絵柄は、ほとんどデフォルメされていなくてあまりかわいくありません。顔の表情もほとんどありません。もちろん実際にネコの顔から表情を読み取れるのはよほど身近にネコがいる人くらいでしょうから、そういう意味でもデフォルメがありません。でもしぐさの描写が巧みなので言わんとするところはわかります。
 作中のネコは人語を解するし話すこともできるのですが、内容も“ネコってこういうところがかわいいよね”的な共感型のエピソードではなく、ボケたりツッコんだり、シニカルだったり、アンビバレントだったり、それがネコでなくてもいい場面も多々あります。

 思うに、“どう見てもネコでしかないモノ”が“ネコが言いそうもないこと”あるいは“別にネコが言わなくてもいいこと”を言っているのあたりが面白いのではないでしょうか。
 しかしこれは、いわゆる“猫漫画”好きには必ずしも受け入れられないことかもしれません。よくある猫漫画では、ネコはヒトと同じ表情でヒトにされるのと同じデフォルメで描かれます。ネコでありながら外観をヒトにしてしまう例さえあるくらいです。
“ネコの記号的な特徴を持ったモノ”が“ネコが言いそうなこと”を言って、あるある感を喚起させるのが(ワタシの考える一般的な)“猫漫画”だからです。
 ありがちな猫漫画では満足できない方、ネコとかどうでもいい方にもオススメ、かも。


posted by 9210mo at 20:14| Comment(3) | TrackBack(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする