2009年06月29日

ふすま

 かつては貴族だったらしい家に食客として入る。森があって小川が流れているような敷地に使わない部屋がいくつもあるような屋敷が建っている次第だ。
 屋敷には年ごろの娘がいる。美しいかというとそうでもない。かといって醜くもない。少しばかりぼんやりした感じのお嬢様である。
 お嬢様には客が多い。客は和室の客間に通される。お嬢様が客に会うときに、客間の隅に控えているのが私の仕事である。不心得な客が来るわけでもなく、何のために控えているのかさっぱりわからない。
 客があるときには、客間のふすまを一枚開けておく。ふすまの向こうには次の間があるのだが、ふだんから使われてない部屋で何もない。このふすまを一枚開けておく理由もわからない。
 一度、客が通される前に気を利かせたつもりでその開けられていたふすまを閉めようとしたところ、古参のねえやにひどく叱られたことがある。わけを聞いても、そういうきまりになってます、と要領を得ない。

 客の中に毎週のように通ってくる若い娘がいる。年格好がお嬢様によく似ている。それも道理で、幼い頃に養女に出されたお嬢様の双子の妹とのことだった。
 同じ顔かたちをしていながら、姉妹はずいぶん感じが違う。それは表情のせいかもしれない。お嬢様がぼんやりしているのに対して、妹君はしゃんとした印象がある。
 その妹君が帰り際に私に声をかけてきた。「あなたはあのふすまを開けておく理由をご存じですか?」私が存じませんと答えると、「お知りになりたいですか?」と聞いてくる。ぜひお聞かせください、と私。
「閉まっていると、鬼に変じるのです」誰がとも、どうしてともなかった。どうしてかはわからなかったが、誰がかはなんとなくわかった、ような気がした。
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2009年06月17日

金印

 学生のころ学外研修として週に2日、絵画教室を開いている画家のアトリエに通っていた。研修先は何箇所かあって、ジャンル(油彩、水彩など)は選べる。まじめに通って作品とレポートを提出すると単位がもらえる。
 電車を乗り継いで数駅の郊外にそのアトリエはあった。
 教室の生徒たちに混じって水彩画を描く。生徒は主婦や年配の人ばかりだったが、Yさんだけは学校はちがうが私と同学年の女の子だった。彼女は研修ではなく、趣味で描いていた。
 通いなれてきたころのこと。帰りの駅で変な人がいるのに気づいた。地味な服装の小太りの女、年齢は不詳、でも目立っていた。挙動が不審だったからだ。
 ホームの端から端までを行ったり来たりしている。他の人にぶつかりそうになってもかまわずまっすぐに歩く。というより、たいていの人はよけてくれる。たまにぶつかられた人もその女を見ると文句も言わない。それを自分が乗る電車が来るまで繰り返す。
 Yさんもその女のことを知っていた。電車で通っているのは私とYさんだけだった。いつも同じ時間の電車に乗るので、同じ駅を利用する他の乗客にもなじみとのこと。挙動はともかく、人にぶつかる以外に迷惑はかけない。
 あるときYさんと帰りの駅で電車を待っていると、件の女がホームを往復しはじめた。誰もが見て見ぬふりをする。まっすぐ歩いていた女は、不意に私の前で立ち止まった。
 空気が固まる。女は何かつかんだ手を差し出す。おそるおそる出した私の手に、女は何か押しつけた。女の視線はあらぬ方を向いている。私の手のひらには金印があった。
「……かんのわのなのこくおう」
 かろうじて口にできた言葉だった。女はホームの往復を再開する。横でYさんは吹き出しそうなのを必死にこらえていた。
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2009年05月29日

図書館にて

 図書館で本を借りる。
 書架から読みたい本(たいてい2、3冊)を選んで貸し出しカウンターへ持っていくのですが、ここでいつも逡巡してしまいます。
 カウンターへは借りる本と利用者カード(以後カード)を提示するのですが、そのとき何と言うのが適当なのか、いまだにわからないからです。
 ワタシが利用している図書館では、貸し出しと返却は同じカウンターで受け付けています。カウンターの係員としては、利用者が何も言わなくても本とカードが出されれば貸し出し、本のみが出されれば返却、と判断はできます。
 仮に貸し出し希望の利用者がカードを出し忘れたとしても、本のバーコードを読めば、その本が今から貸し出されるのか、返ってきたのかがわかります。
 つまり何も言わずに本やカードを提示したとしても、通常は特に問題ありません。でも釈然としません。何か一言でもあっていいような、というか、あるべきだと思うのです。
 ちなみに返すときには「返却です」と言うようにしています。では借りるときには? とりあえず「お願いします」と言ってみました。「ワタシはこれらの本をお借りしたいので貸し出しの手続きのほうをどうかひとつお願いします」の略なのですが、それにしても最適とは思えません。
 たとえば「お借りします」だと手続きが終わって本を受け取る場面のようだし「貸してください」とすると漠然としすぎてスマートでないような。「これを」……なんだか気障ったらしい感じです。
「お願いします」は無難なのですが、無難なだけに気の利いたことが言えてない自分にガッカリするのです。
 そんなわけで、本を選んでもすぐにカウンターに行けずに、他の人が気の利いた一言を言うんじゃないかと逡巡しているのです。 
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2009年05月14日

見てないから

 コンクリートの護岸に沿ってテトラポッドが積まれている。ポッドは護岸から少し見おろす高さで、半分くらいが波に洗われている。入り江の中なので波はそれほど強くない。
 ポッドの上に跳びのったものがいた。ネコだ。白黒の、どこにでもいそうなネコ。水際なのをまるで意に介さない様子で、ポッドからポッドへひょいひょいと渡っていく。
 ポッドの脚が突きだして影になっているところで止まるとゆっくり腰をおろした。熱心に水面を、というより水中をにらんでいる。池の中の魚をねらうように、だ。
 でも海のこと。ポッドの上から水底まではかなり深さがある。そうそう水面近くまでは魚はあがってこない。ネコの手ですくい上げることは無理というものだ。
 ところが。ネコはいきなり水に入った。落ちたのではなく、みずから入ったのだ。みずからみずに。そんなことはどうでもいいが。とにかく、ばしゃんと水音をたてるのではなく、するっと慣れた感じで水に入ったようにみえた。
 よく見ようと私は身をのり出した。ネコは器用に底のほうへ潜っていく。ネコってこんなに泳ぎが達者なものなのか? 前に水族館で見たラッコのような滑らかな泳ぎだ。
 ネコはすぐに獲物をくわえてあがってきた。約20センチ、良形のキュウセン。ポッドの上にはいあがると、ぶるっと身体の水をはらってすぐに獲物にかぶりつく。
 なにかおかしい。ふつうネコが濡れると毛はべったり身体にはりついて、やせ細ったように見えるはずだ。このネコはそんなことがない。毛の質が違う。そもそも潜水はしないだろう。
 こいつはネコじゃない。ネコに見えるけど、たぶんカワウソだ。そう思ったとたん、そいつと目が合った。カワウソは化けるし、人を喰い殺すという……
「見てないから」思わず口に出た。 
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2009年04月30日

仙女にも宿業

 ちょっと待ってくださいよ! 仙人になるには「仙骨」なるものが必要なんですって? 聞いてませんよ、そんなこと。羽化登仙にあこがれる身としては少なからずショックですよ……
 いや、仙骨なんて誰にでもあるでしょ、と解剖学をかじった人ならいうでしょう。脊椎の下部、寛骨の間にありますね、仙骨。その仙骨、違う! 仙人になるための素質、という意味での「仙骨」なのです。

『僕僕先生』(仁木英之著、新潮文庫)によると、仙人になるには「仙骨」が、仙人とお近づきになるには「仙縁」が必要とのこと。
 唐代の中国を舞台とした神仙モノ。主人公の王弁は県令の息子で何不自由ない境遇からニート的生活を送っていたが、仙人(美少女)の僕僕と出会い弟子になり共に旅をする。基本的に目的がある旅ではなく、国や世界をどうこうしようという類の物語ではありません。
 王弁には「仙骨」はないが「仙縁」はある。そして仙人の僕僕とお近づきになります。しかもその僕僕は美少女。これで萌え系キャラのイラストがついていたりするとまるっきりラノベなのですが、表紙、本文中のイラストはシンプルな三頭身の線画。かわいいのだけど、萌え系ではありません。この情報量を抑えた絵が、逆に想像力をかきたててイイ感じです。

 美しい仙女である僕僕に、なぜか気に入られる王弁に感情移入するのが、この物語の楽しみ方なのでしょう。「美しい仙女」と書きましたが、仙女といえば、まず美しいに決まってます。それに概ね僕僕は魅力的です。ただ、一人称が「ボク」なのは個人的にややマイナスか。
 文章はとても読みやすく、けれど「麻姑掻痒」の由来にあたる、麻姑、王遠(方平)、蔡経のエピソードも出てきて楽しめます。


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2009年04月11日

できた犬

 バス停でバスを待っていた。
 バスを待っているのは私ひとり。私が座っているベンチのそばにダルメシアンが一匹伏せている。それから褐色のチワワが一匹、こちらはそこらをちょこちょこ走り回ってはあちこち匂いをかいだり、通りすぎる人に吠えかかったりと落ち着きがない。
 はた目には二匹の犬が私の飼い犬に見えるのかもしれない。チワワに吠えかけられた人のなかには私に迷惑そうな視線を向ける者もいる。
 いえいえ私の犬じゃありませんから、とわざわざことわるのも億劫だ。それにしても、チワワの落ち着きがないことは甚だしい。
「落ち着きがないヤツだな……腹でも空いてるのか?」
 いってもしようがないのはわかっていたが、つい口に出してしまう。
 すると、それまでおとなしく伏せていたダルメシアンがすっと身を起こして、チワワのところへ行く。チワワの鼻先に自分の鼻を近づけると、さすがにチワワの動きが止まる。
 声を出してはいなかったけれど、なんとなく話をしているように見えた。

 次にダルメシアンは私のところへ来た。私の顔をじっと見つめると、ぺろっと舌なめずりする。なんだこいつのほうが腹が空いてるのか、そう思った私はカバンからビスケットを出して一枚やる。
 ダルメシアンはビスケットをくわえた、が、食べなかった。なぜか後ろで行儀よく座っているチワワの前までくわえて行き、ぽとりと落とした。チワワは勢いよくかじりついて、あっという間に食べてしまった。
 ダルメシアンはというと、もといたところへ戻って伏せてしまった。チワワにもビスケットにも私にも、まるで興味がないといった風情だ。
 ビスケットを食べ終えたチワワはおとなしくなった。
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2009年03月31日

靴下の男

 春の陽気に誘われでもしたのか、ぼんやりと海を見ていた。
 船着き場に着いた船から客が降りてくる。
 年配のスーツ姿の男が、靴を履いていない。靴下の足でタラップを降りてくる。上陸からしばらくしてから、はっとしたように自分の足もとの異常に気づく。
 降りてきた船に戻ろうとしても、タラップは上がっていて戻れない。もう次の客が乗り込んだあとで、すぐに船は出て行く。
 船の中で靴をぬいだのを忘れてそのまま降りてきたのか? 上陸して岸壁のコンクリートをうすい靴下ごしに踏んで、はじめて靴を履いてないことに気づいたようだ。
 男はしかたなく、乗船券売り場の横の「お忘れ物はこちら」と書かれた窓口に向かう。窓口には行列ができている。この渡し船ではよほど忘れ物が多いとみえる。
 窓口にならぶ人たちの列に、ところどころ人ひとり分くらいの空きがある。ちょうど横から割り込めそうな空きだ。でも、だれが割り込むわけでもない。

 行列に空きがあっても、そこには見えない人がいる。特に忘れ物をする人たちのなかには、姿が見えない人が多い……そんな話をどこかで聞いたことがある。
 窓口の行列の空きがあるように見えるのは、たぶんそんな理由からだ。それはあまり深刻な問題ではない。

 それより靴を履いているかどうかわからなくなるのはどんな感じだろう? なんだかそれは、とても気持ちのいいことのような気がする。うらやましくさえある。船に乗るとそんな気持ちになれるのだろうか? そうはいってもあの年配の男のように、上陸して靴がないのに気づいてあわてるのはイヤだけど。
 ずっと船に乗っていたら靴はいらないのかもしれない、そんなふうに思った。
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2009年03月21日

手紙

 家に帰るとSさんが来ていてびっくりする。そのうえ初対面のはずの私の父と談笑している。魚類図鑑を見ながら。
 図鑑にマンボウが五種類のっている。あんな変な形をした魚が一種類だけじゃないなんて、とSさんは驚いている。彼女はマンボウの実物を見たことがないという。
 父は、船上から水面近くで横になって漂っているマンボウを見たことがあるらしい。Sさんにしきりに感心されて、父は気をよくしていた。

「なにか用があったんじゃない?」
 帰り際に聞いてみた。
「ううん……ただ、近くまで来たから」
 父に魚の話を聞きに来たのでもないようだ。
 小雨が降っていたので彼女に傘をわたす。途中まで送ろうと私も傘を開く。彼女は傘を開かずに私の傘に入ってくる。とまどう私にSさんは涼しい目をちらりと向ける。
 Sさんは同級生だったけれど、特に親しかったわけでもなく、会うのも数年ぶりだ。家に来たのもはじめてだった。
 それでもただ一度だけ、手紙をもらったことがある。卒業してしばらくしてのことだ。近況が書いてあるだけだったし、私だけに出したのではなかったかもしれない。けれど、うれしかった。きれいな字。これまでの私の人生で目にした最も美しい筆跡。
 川沿いの道を歩きながら、返事を何て書いたか思い出そうとした。けれど傘を持つ腕の、彼女の肩がふれる部分が熱いような気がして、どうしても思い出せない。
「マンボウって水族館にいる?」
 Sさんが聞く。
「うん、いるよ……」
 思い出した。いろいろ考えすぎて結局、私は返事を書いていない。
「……でも、マンボウには水族館の水槽はせますぎるようだったよ」
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2009年02月26日

釜鳴頻繁

 釜鳴り、困りますよね。
 中に何も入れていない、しかも火にかけてすらいない釜が鳴るのは、迷惑というより気味の悪いものです。

 あるお宅で飯炊き釜が鳴ることがありました。女性の腰巻き(未使用)を掛けると鳴り止むとかいいますが、あいにくそれがありません。
 さてどうしたものか、と困っていたのところ、以前近所の家でやはり釜が鳴ることがあったのに思い当たります。知り合いの家だったのでどうやって止めたか聞こう、ということになりました。
 早速その知り合いのところへ聞きに行きます。知り合いの言うには、麻の裃を掛けるとよい、とのこと。釜鳴りはさらに激しく、外にまで聞こえています。
 急ぎ帰って麻の裃を引っぱりだし、いざ掛けようと釜にかざしたところ……かざしただけで釜鳴りは止んだのでした。
 どういうわけか、その後だんだんとそのお宅は豊かになったそうです。

 …というのは江戸時代の『奇異珍事録』という随筆にあるエピソードです。確かに奇異な珍事ではあるのですが、なんだかそれほど希なできごとではないような印象を受けるのです。対処法を知ってる人がいるし。
 ただ、釜はなぜ鳴るのか、腰巻きや裃を掛けるとよい理由は何か、などはこの話からはわかりません。釜鳴りは神事にもあり吉凶を表す例もあります。また「釜鳴」という名の妖怪の仕業であるともいわれます。
 ガスや電気で炊飯する現代では釜鳴りは絶えてしまったのでしょうか? もし仮にIH炊飯器が釜鳴りしたとしてもこの対処法はあまり役に立ちそうにありませんが。
 豊かになる前兆(瑞祥)は、ガスや電気から遠いところにあるのかもしれません。
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2009年02月15日

小泉八雲できましたか!

 それにしても、森美夏の絵は見にくい。醜い、じゃなくて見づらい。でも、また買っちゃいました。『八雲百怪』第1巻(大塚英志、森美夏著、角川書店刊)、コミックです。同じく大塚、森による『北神伝綺』『木島日記』に続く「民俗学三部作」の三作目。
 前二作の主人公が、柳田國男、折口信夫ときて今回が小泉八雲。民俗学モノとしては、やはり外せないチョイスです。実在した人物を登場させながら、話の内容はなにやら怪しげな伝奇的創作。こりゃ、好きな人にはたまりませんわ。
 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850〜1904)はいわずとしれた日本マニアで文筆家、ギリシャ生まれのイギリス人、後に日本に帰化しています。

 『八雲百怪』に出てくる八雲のキャラクターは、彼の著作集『小泉八雲集』からワタシが受けた印象によく合致しています。好奇心旺盛で偏執的なところがあるものの、人が良くて心根の優しいガイジンさん、といった感じの。他に登場するのは、お調子者っぽい学生の会津八一、不気味な風体の役人甲賀三郎と彼が連れている(?)生き人形のキクリ様、そして甲賀の上司でどう見ても腹に一物ある松岡参事官。この参事官は柳田國男のようです(松岡は柳田が婿養子になる前の名字)。
 彼らが怪しげな事件に遭遇するのですが、それが超常現象的なアレなワケです。妖怪的なモノがいろいろ出てきます。松岡は近代化を推し進めようとする明治政府の意向から、前近代的なそれら妖怪的なモノを排除しようという意図があるようで、一方、八雲は日本古来のそれらの存在を守ろうとします。

 本来、祀られるはずの神が祀る者がいなくなったがために妖怪と認識されてしまう、というある種のパラダイムシフトは、少なからず目からウロコな感じでした。

posted by 9210mo at 03:45| Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする